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若者文化研究所は若者の文化・キャリア・支援を専門とする研究所です。

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若者支援CONCEPT

若者支援

若者を支援するとは
    若者文化研究所 西村美東士
多くの若者が「夢のある人生」を送れるようにするにはどうしたらよいのか、その問いに答えていこう。

つづく


(未公開論文)「青少年の社会化支援理念の変遷及び支援方法論に関する研究」より


■■私のリカレント論−私はこれからどうしたいのか


若者集団


 私は、若者集団のあり方について、次のような「ネットワーク型」を提示したことがある。

−−−−引用始め−−−−
ネットワーク型の支持的風土 ヒエラルキーがツリー(樹木)であるのに対して、ネットワークはリゾーム(地下茎)になぞらえられる。しかし、ネットワークの全体を幹と考えれば、やはりネットワーカーの一人ひとりは「枝葉」にすぎない。そこでのネットワーカーの「枝葉」としての存在確認とは、どれだけ自分の納得のいく提案の仕方を自分ができたかどうかということであり(幹と枝葉)、それが満足できるものならば自分の胸のうちにはさわやかな風が吹き抜けているはずなのである。ぼくは元気がなくなると、元気に活動している人とおしゃべりして、元気をもらう。そこで気づいたことは、彼らがたまたま枝葉としての不運な目に会っていないから元気、ということではないという事実である。彼らは幹を変えられたからではなく、変えようとして行為できた自分に満足するのである。これが枝葉同士のピアコンセプトとは異なるネットワーク型の支持的風土をつくりだすための心構えであるといえよう。

公的課題の優先 平成3年4月、『かくろん』においてぼくが提案した概念。翌年7月には、生涯学習審議会答申が、ぼくの趣旨には近いが、もっと高い視点から洗練されたかたちで「現代的課題の学習」の提言を行っている。しかし、ぼくの提案の場合は、市民の自由な生涯学習を支援するための学習プログラム提供において、行政がなぜ、何を根拠に、学習課題を取捨選択するのかという、公的社会教育の存在理由を問う、よりどろどろした問題意識から発していた。そこでの「公的課題の優先」の論旨はつぎのとおりである。生涯学習のネットワークは自治というよりも「個治」であり、どの学習課題も差別されない。それに対して、行政が行うべき「問題提起」は、ネットワーク型といえども性格を異にする。行政職員の個人の意図によってではなく、行政課題の遂行という責務のもとに行動を決定する。そこでは、たとえ市民の自由な生涯学習のネットワークに対する援助や問題提起であっても、その学習課題に優先順位がつけられていく。まずは、行政として考える「公的学習課題」、またはそれにつながる課題の学習を優先すべきである。ただし、私的課題と公的課題は、現実の世の中では混沌としている。だが、これを操作概念として使用することによって、行政が援助・提起すべき課題に優先順位がつけられる。なお、これはあくまでも「優先順位付け」(プライオリティ)の問題であって、市民の自由な生涯学習に対する選別行為とは無縁のものである。
−−−−引用終り−−−−
西村美東士『癒しの生涯学習−ネットワークの味わい方とはぐくみ方』(学文社)

同心円
 しかし、現在では、活発な集団は、次図のような「同心円集団」ではないかと考えている。そのポイントはたった3人程度がコアになること、ほかの人たちは、メンバー、サポーター、浮遊層というかたちで参加すること、それらの参加はそれはそれで役割を果たしているということ、そしてそのような同心円集団が多様に存在して、コラボするということである。


【図解】若者の個人化傾向に対応した同心円型青年団体活動のモデル
 そして、公的課題(「現代的課題」では表現不足である)に対しては、行政だけでなく、集団自体が「社会的使命感」のもとに責任を遂行しようとする時代になった。そのためには、目的流動型のリゾームではなく、かといって過去のツリーでもなく、特定の目的を共有する同心円集団が多様に存在して「公共」を構成することが求められる(ダイバーシティ)。

肯定的にとらえる


 見田氏は、その著『現代社会はどこに向かうか』において次のように述べている。20世紀の悲惨な成行の根底に@否定主義、A全体主義、B手段主義を見る。そして、これに対して「新しい世界を創造する時のわれわれの実践的な公準」として、@肯定的であること、A多様であること、B現在を楽しむということの3つを挙げる。そして、「一つの細胞がまず充実すると、他の一つずつの細胞が触発されて充実する」として、最後に「今ここに一つの花が開く時、すでに世界は新しい」と謳い上げる。
(西村美東士書評)見田宗介『現代社会はどこに向かうか―高原の見晴らしを切り開くこと』、岩波新書、2018年6月
 私は次のように考える。これまで、個人化とそれに伴う自己責任論の流れの否定的側面を取り上げて暗い展望に落とし込む議論が多かったように感じる。だが、個人化や自己決定の自由を尊重する立場から、若者の傾向を肯定的にとらえなおしてみたとき、見田氏の言うような「新しい世界の創造」も可能性が見えてくるのではないか。
 そのためには、「若者支援学」「子育て支援学」などの議論を、社会学、心理学などの過去の「科学」の枠組みと知見に縛られることなく、支援現場での課題と可能性に基づいて、若者や子育て者とのコラボによって進めることが肝要だと思われる。

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