Q 大変貴重な研究発表を拝聴し、ヘルスケア・カウンセリング学会、また学術大会の構想・課題を改めて学ぶとともに、最後のスライドの3つの支援の中で、社会の一員としての充実、個人としての充実を片方からの視点だけではなく、両方の側面から捉えていくことの重要性、また第3の支援を加えたアプローチのお話が特に印象的で、大変勉強になりました。  先生の提言の中で、「個人化と社会化の一体的支援に関しての方向性の難しさ」のお話がありましたが、一保育者として私も日々感じている課題の一つであります。  そこで、素人質問で大変恐縮ですが西村先生のお考えをお伺いししたく、2点質問させていただきます。 1. 先生の提言の中で「自己決定力の伸張」を教育の中で支援する必要性に関してのお話がありましたが、具体的な方法について先生のお考えをお聞きしたいです。 2. また、「主体的学びによる社会的・国際的視野の拡大」についてですが、主に教育現場での国際的視野の拡大にはどのような実践が有効だとお考えでしょうか。 お忙しい中恐れ入りますが、先生のお考えを伺えればと存じます。 A 貴重なご質問、ありがとうございました。保育の世界でも、社会化の重要性が見直される動きが出てきているように私には感じられます。それは次のような状況に、保育の側も、小学校の側も、気づき始めているからだと思います。  保育園で「のびのびと自由に」過ごしてきた子どもたちが、小学校に入学して、さっそくいわゆる(子どもにとっての)「小1の壁」に突き当たる。そのときどうなるのか。子ども本人は今まで通り、授業中でも自由に歩き回ってしまう。多くの小学校教諭の力量では、コンプライアンスに抵触せずにこれを阻止するということができず、結局、「誰一人取り残さない(Leave no one behind)」(SDGsの持続可能な開発目標)どころか、歩き回るのを放置し、「学び」から意図的に排除されているのが現状ではないでしょうか。  このことについては、本会のメンバーである黒米聖さんが実践家として、強い問題意識をもって取り組んでいる研究課題ですので、交流してみるのもいいと思います。  充実した個人によって、充実した組織や社会が形成される。同時に、組織に帰属することによって、個人はより充実する。そのような好循環を私は期待したいと思います。これはもちろん、強制や体罰を伴うような「社会化」ではなく、子どもたちに寄り添って行われる「社会化支援」です。保育士ならたとえば「けんかの仲裁」など、これに即した多くのスキルを持っているはずです。 Q1. 先生の提言の中で「自己決定力の伸張」を教育の中で支援する必要性に関してのお話がありましたが、具体的な方法について先生のお考えをお聞きしたいです。  私は、高等教育の視点から、「ワークショップ型授業の構成要素とその効果−学生の自己決定能力を高める授業方法」という論文を発表しました(大学教育学会『大学教育学会誌』22巻2号、pp.194-202、2000年)。そこでは、2日間の「生涯学習概論」の授業で、学生がどのように自己や他者に対する気づきを得たのか、その変容の過程を解明することによって、学生の自己決定能力を高める授業の構成要素とその効果を明らかにしました。第1に、ワークショップ型授業によって、即自から対自へ、対自から対他者へと学生の気づきが促され、対他者から再び対自や即自のより深い気づきへと循環する過程を明らかにしました。第2に、学生の自己決定能力の到達段階の把握に基づく戦略的な指導内容と授業構成の必要性を提起しました。  そこでは、指導者としての私の行為として、課題提示(問いかけ)、紹介(読み上げ)、回答(レスポンス)、指示(ワークの進め方)が頻繁に行なわれました。そのことによって、役割提供機能(ワーク)、表現支援機能(文章、話し合い、発表)、受容機能(学生の表現への評価)、課題解決機能(気づきの促進)、揺さぶり機能(固定概念の打破)を発揮することができたと考察しています。しかし、それとともに、「学生の自己決定能力を高める授業方法」としては、学生記述やワーク成果の分析から、ワークショップ及びそこでの対話と自己内対話がポイントになると結論付けました。 Q2. また、「主体的学びによる社会的・国際的視野の拡大」についてですが、主に教育現場での国際的視野の拡大にはどのような実践が有効だとお考えでしょうか。  本学会においても、たとえば、松浦広明さんが、「グローバルヘルス−MDGS、SDGSを経て、その次へ」というテーマで、個人的視野にとどまりがちな「健康問題」を社会的・国際的な視野からとらえることの重要性と課題について力説しています。健康問題に限らず、人々のQOL向上のための支援を国際的な視点でとらえ、現地の人々の喜怒哀楽と寄り添い、共感的理解を深めるためには、なんといってもフィールドワークが効果的だと思います。  しかし、学生や市民などにとっては、そのための金銭的、時間的余裕はないことが多いでしょう。その場合、国内でのワークショップによるいわば「シミュレーション」が成果をあげられると思います。そして、今日の全地球的なネット環境を考えた場合、われわれが過去のパソコン通信時代に夢見てわくわくした「国境を越える交信」も可能になってきています。そこでの対話によって、国際的視野の拡大を実現することができると思います。  現在、ICT環境は驚異的な発展を遂げています。地球の裏側の人とのリアルタイムのワークショップを、個人ベースで無料、または安価でできるようになっています。そして、これらの「知的生産」のための技術面での支援が求められていると考えます。 Q 西村先生 非常にセンスが良く、簡潔にまとめられて、学びになりました。以下、二点、教えてください。@近年の学びや資格認証で、情報化は飛躍的に重視されていますが、これを活用して情報技術を取り入れる上で、特に大事なことは何でしょうか? A西村先生の幅広い社会教育で、もっとも大切にされていること、そのコア(核や哲学)は何でしょうか? A 大切なご質問をいただき、感謝しております。 Q1 近年の学びや資格認証で、情報化は飛躍的に重視されていますが、これを活用して情報技術を取り入れる上で、特に大事なことは何でしょうか?  上でも述べたような情報環境の驚異的な発展は、個人発信型のインタラクティブなコミュニケーションを可能にしています。これまでの「教える人→学ぶ人」という一方通行の学びではなく、1対N、N対Nの「学びあい、支えあい」という相互関与の学びの可能性が広がっているのです。これは、HAVE(資格や財産を持つ)からBE(人間らしく存在する)へ、BEからWITH(共に生きる)への生涯学習の発展を支えます。  そして、情報技術の発展はわれわれにわくわくするような楽しさを与えてくれます。梅棹忠夫が過去に追求し、普及を目指した「知的生産の技術」が、今日の情報技術によって誰でもコスパ良く、タイパ良く使えるようになっているのです。情報技術の上手な活用は人々のQOLを高めることにつながります。そのとき大切なことは、QOL支援者のほうも、わくわくしながらこのような楽しさを味わうということです。そのためには、情報技術を物神化せずに、いわば楽しんで「使い倒す」というアマチュア精神が必要だと思います。 Q2 西村先生の幅広い社会教育で、もっとも大切にされていること、そのコア(核や哲学)は何でしょうか?  社会教育は「何でもあり」の世界です。そこでは、行政の行う講座も含めて人々の主体性が核になります。今や学校教育においてさえ、「主体的学習」の大切さがあらためて評価されるようになってきました。押しつけでは人も文化もまちも育たないのです。  さて、この原則の上で、社会教育において個人化(個人として充実するための能力を獲得する過程)と社会化(社会の一員として充実するための能力を獲得する過程)が一体的、断続的に行われると私は考えているのですが、もう一つ、社会教育は重要な機能を果たしています。それが「癒し」です。「癒し」とは原点回帰のことで、生まれたままの喜怒哀楽の状態を取り戻すことだと私は考えています。それは、QOLにとっては欠かせない機能だと考えます。そして「癒し」による原点回帰は、多くの場合、「個人化」や「社会化」に向かう節目のところで行われていると感じています(西村美東士「個人化の進展に対応した新しい社会形成者の育成―キャリア教育及び青年教育研究の視点から」日本生涯教育学会年報33号、pp.145-154、2012年11月)。  戦後、寺中作雄は、社会教育の代表的存在の一つである公民館を「社会教育機関」「社交娯楽機関」「町村自治振興の機関」「産業振興の機関」「新しい時代に処すべき青年の養成に最も関心を持つ機関」と謳いました。社会教育は、そもそも、人とまちが育つ場であるとともに、癒される「社交娯楽」の場なのです。現在、各地で行われているワークショップも、「笑い」が絶えないという特徴がありますが、それは過去の社会教育の「社交娯楽」の「ネオトラ版」といえるでしょう。そこでは、「優越した者が劣等な者を嗤うような笑い」ではなく、異なる価値観を認めたうえで、ともに生きようとする者同士の「共感の笑い」ということができるでしょう。私は、これを、癒しによる「原点リセット」としてとらえたいと思います。