随想 SNS力を育てる  40字×80行=3200字 若者文化研究所代表 西村美東士 SNSは不可欠のコミュニケーションツール  デジタルネイティブさらには常時接続の中で、LINE等のSNSを当たり前のように使ってきた若者たちに対してわれわれはどのように対応したら良いのでしょうか。教育関係者などの中には、「ネットのせいで、対面コミュニケーションが減っている」という人もいますが、それはとんでもない思い違いです。ネットで盛んに交流している者は、対面での会話も盛んです。このことは、多くの調査データでも裏付けられています。  「貧困と言うが、スマホを持っているじゃないか」という人もいますが、スマホは今や、バイトのシフト連絡、友達への依頼など、不可欠のツールです。  もちろん、通信内容によって、適切なメディアを使い分けることが必要です。対面か、通話か、メールか、さらにはプリントして渡すか。しかし、なかでもSNSは、国際電話、一斉周知、待ち合わせなどに有効な優れたメディアです。  ある自然保護団体のリーダーに、一人の高齢者が「私もイベントに参加したいが、ネットは使わないので、手紙を送ってほしい」と頼んできたが、そのリーダーは丁重にお断りしたと言っていました。いまどき、メンバー一人一人に手紙を出していたのでは、活動はやっていけません。この高齢者のような「情報弱者」には、別途、何らかの手助けが必要だと思います。 SNS不適応の「少数派」の若者への理解  私が気になるのは、SNSが苦手だという少数派の若者についてです。ある女子学生が「LINEやSNSは怖い」と私に言いました。ネットが怖いという者は、対面コミュニケーションも苦手なことが多いのです。  しかし、私は、それは言い換えれば、「LINEの怖さを知っている」ということであり、コミュニケーションによる相互理解の難しさにも気づいているということだと思います。その学生について、同じクラスの学生たちが「彼女がぽつぽつとみんなにしゃべり出すと、おしゃべりしていた他の人たちがおしゃべりをやめて、耳を傾ける」と言っていました。軽やかなおしゃべりが良くて、訥々としゃべるのが悪いというわけではありません。会社でもそうでしょう。  ただし、彼女が受け入れられたのは、クラスに「支持的風土」があったからです。「支持的風土」は相互信頼に基づいています。その反対が「防衛的風土」です。これは、「仲間からいつ足を引っ張られるかわからない」と戦々恐々としている風土です。そこではやたらと同調がはびこり、自発的な参加はあまり見られません。「支持的風土」においては、メンバーがのびのびと自発的に参加し、仲間に同調できないときには、「同調できない」と率直に意見表明ができます。そのことこそが、多様な個人を受け入れ、個人も集団に積極的に参加できる風土を生み出すのです。  先の女子学生についても、たとえコミュニケーションが苦手でも、集団風土が支持的であれば、たとえばサポート役、傾聴など、チームにとって大切な役割を果たすことができるかもしれません。組織は、チームで動くのですから、それでいいのです。 意見対立を避ける若者たち  私が所属する青少年研究会は、1992年から10年ごとに神戸と杉並の若者意識調査を行なっています。そこでは、「友だちとの関係はあっさりしていてお互い深入りしない」とする「交際淡泊型」が、44.8%→46.2%→51.5%→57.8%と増加しました。そして、「友だちと意見が合わなかったときには納得がいくまで話し合いをする」とする「交渉型」が、(2002年から)50.2%→36.3%→32.2%と減少しました。なお、「どんな場面でも自分らしさを貫くことが大切」とする「貫徹志向型」は、69.2%→55.8%→51.6%→55.5%と直近の2022年では増加に転じました。「あなたはあなたのままでいい」というメッセージが浸透しつつあるからでしょうか。  価値観の違う者とぶつからないようにやり過ごす若者が増えています。ある意味「共存の作法」と言えるでしょう。しかし、教育が目指しているコミュニケーションとは、相手の異なった意見を、相手の異なった枠組み(準拠枠)への理解のもとで受け入れること、それは同感ではなく共感であり、そこでは自分の今までの枠組みは拡大こそすれ、相手の枠組みと同じになることではありません。教育においては「共存」の作法よりも、このような「共有の作法」こそ育てる必要があります。  引きこもりの若者たちの世話をしているフリースペースの指導者が、「せめぎあって、折り合って、お互いさま」というスローガンを掲げていました。せめぎあうことは、悪いことではありません。引きこもりでなくても、今の若者は、せめぎあうことを恐れて、これをスルーすることに長けています。しかし、ときには、せめぎあって、本音でぶつかることが必要です。 BBSにおける教師の「介入行為」  私は「ワークショップ型授業の構成要素とその効果−学生の自己決定能力を高める授業方法」(『大学教育学会誌』22巻2号、2000年11月)において、ワークショップ型授業の構成要素を次のようにまとめました。「今回の授業における指導者の行為は、課題提示(問いかけ)、紹介(読み上げ)、回答(レスポンス)、指示(ワークの進め方)が頻繁に行なわれた。そのことによって、役割提供機能(ワーク)、表現支援機能(文章、話し合い、発表)、受容機能(学生の表現への評価)、課題解決機能(気づきの促進)、揺さぶり機能(固定概念の打破)を発揮していたと推察できる」。その後、講義型授業においても、私はBBS(電子掲示板)上で課題を提示し、学生の討論を促しています。その際、教師の適切な介入(コメント書き込み)によって、学生のもつ固定概念を揺さぶり、自己と他者や社会との関わりのとらえ直しを促しています。教育においては、自己内対話の深化を含めた気づきの支援機能の充実が重視されるべきでしょう。  今の教師も10代の頃は、「先生の話よりも、友達とのおしゃべり」というピア・コンセプトや、「仲間から変だと思われたら、もうおしまい」という同調圧力に囲まれていたと思います。さらには、  雑誌「教育」(国土社)が「おしゃべり症候群」を特集してその空疎を衝いたのは1985年です。50代の中堅教師は、その世代なのです。になっているのです。さらには、今や軽やかなコミュニケーションが常時接続のSNSの中で盛んに交流されています。しかし、実感は交流できず、共有や相互理解に至っていないのではないでしょうか。表層ではなく、枠組みまで立ち入った「重いコミュニケーション」は、「ウザい」と言われるかもしれません。しかし、教育の場においては、意見対立を避ける若者たちのSNSコミュニケーションに対して、その心情を理解しつつも、相互理解を促すための「介入」を意識的に心がけてほしいと思います。 西村美東士(にしむらみとし) 専門は社会教育学、青少年教育、ICT教育。東京都社会教育主事、国立社会教育研修所、昭和音楽大学、徳島大学、聖徳大学、板橋区社会教育指導員(中高生の居場所づくり)を経て、2020年より若者文化研究所代表。著書に『癒しの生涯学習(増補版)』(学文社、1999年)、「パソコン通信は生涯学習に何を与えるか」(日本視聴覚教育協会『視聴覚教育』、1989年)など。 WEB: http://mito3.jp 参照URL 青少年研究会調査結果 http://jysg.jp/img/jysg22_young.pdf 青少年研究会調査結果分析 http://jysg.jp/img/JYSG2022researchreport.pdf うち西村美東士「意見対立を避ける若者たちの増加に対応した育成方法」 西村美東士「パソコン通信は生涯学習に何を与えるか」 http://mito3.jp/seika/0440.pdf 西村美東士「若者論のトレンド:若者理解のための図書コーナー」(WEB) http://mito3.jp/syohyou/ 西村美東士「ICTシステム」(WEB) http://mito3.jp/ccc/