1、 年代別にLINEの反応がここまで違うのは、どのよう な理由からなのでしょうか? 40代などはメール文化、60代はワープロ世代だから、などを環境の面などを推測してはいたのですが、西村さまのお考え・ご知見をお伺いしたく存じます。  デジタルネイティブさらには常時接続の中で、LINEを当たり前のように使ってきた若者たちの行動は、上の世代とは異なります。メールで原則的には1対1のコミュニケーションをしてきた世代、さらにはワープロでプリントを渡してきた世代にとっては、LINEにためらう場面も多いかもしれません。  しかし、私はさらにその上のパソコン通信を愛好してきた世代ですが、そこでは画像や動画がないものの、そのことによってかえって異質な見解を自由に交流する経験をしてきました。やたらと「いいね」を付けあったり、単なる挨拶だけを交換したりする今の「交流」よりも、当時のパソコン通信のほうが、内容が深かったように思います。ただし、そこでも、「レス」をもらえることを大切にしていました。「双方向性」は、時代や世代を超えて重要視されていると言えるでしょう。 2、 世代を跨いでのLINE(取引先や上司など)で、互いに不信感や不快感を持ってしまうケースもあると聞きます。どのようなスタンス、心持ちでLINEをすればよいのか。気遣いの仕方などをお聞きしたく存じます。  上の世代の人にとっては、既読スルーされたりして、不快に思うこともあるでしょう。しかし、それは、「断ったり、否定したりするのは失礼だから」などの相手の「気配り」の結果かもしれません。「そんな遠慮は不要、自由闊達にやりとりしよう」という雰囲気を醸し出すと良いのではないでじょうか。  それより私が気になるのは、LINEが苦手だという少数派の若者についてです。ある女子学生が「LINEやSNSは怖い」と私に言いました。教育関係者などの中には、「ネットのせいで、対面コミュニケーションが減っている」という人もいますが、それはとんでもない思い込みです。ネットで盛んに交流している者は、対面での会話も盛んです(会話の質はともかく)。このことは、多くの調査データでも裏付けられています。ネットが怖いという者は、対面コミュニケーションも苦手なのです。  しかし、私は、それは言い換えれば、「LINEの怖さを知っている」ということであり、コミュニケーションによる相互理解の難しさにも気づいているということだと思います。その学生について、同じクラスの学生たちが「彼女がぽつぽつとみんなにしゃべり出すと、おしゃべりしていた他の人たちがおしゃべりをやめて、耳を傾ける」と言っていました。訥々としゃべるのが悪いというわけではありません。 ただし、彼女が受け入れられたのは、クラスに「支持的風土」があったからです。「支持的風土」は相互信頼に基づいています。その反対が「防衛的風土」です。これは、「仲間からいつ足を引っ張られるかわからない」と戦々恐々としている風土です。そこではやたらと同調がはびこり、自発的な参加はあまり見られません。「支持的風土」においては、メンバーがのびのびと自発的に参加し、仲間に同調できないときには、「同調できない」と率直に意見表明ができます。そのことこそが、多様な個人を受け入れ、個人も積極的に参加できる風土を生み出すのです。 翻って、先の女子学生についても、たとえコミュニケーションが苦手でも、たとえばサポート役、傾聴など、チームにとって大切な役割を果たすことができるかもしれません。組織は、チームで動くのですから、それでいいのです。 3、 そのほか、LINE関連で我々が知っておくと良いポイント、使い方などはありますでしょうか?  ある若者が、LINEでみんなと交信していて、途中で眠くなったので寝てしまったら、翌日、皆から責められてつらかったと話していました。軽く退出の挨拶をするというちょっとした作法が彼には欠けていたと言えるでしょう。しかし、このような「気配り」の欠如ゆえの失敗の蓄積が、今後の彼のコミュニケーションを阻害することにつながるとすれば、われわれはこのようなことのないよう、要領が悪い人を、注意深く見守り、ケアする必要があると思います。  引きこもりの若者たちの世話をしているフリースペースの指導者が、「せめぎあって、折り合って、お互いさま」というスローガンを掲げていました。せめぎあうことは、悪いことではありません。引きこもりでなくても、今の若者は、せめぎあうことを恐れて、これをスルーすることに長けています。しかし、ときには、せめぎあって、本音でぶつかることも、「ちょっとした作法」とともに、必要なことだと思います。それこそが、相互理解を深めるコミュニケーションになるのではないでしょうか。  なお、相手に苦言を呈するときは、「心を痛めながらも」「一対一」で、まともに向き合うことが大切です。 4、 西村さまが読者様にお伝えしたいこと、もしございましたらご記入くださいませ。   通信内容によって、適切なメディアを使い分けることが求められています。対面か、通話か、メールか、さらにはプリントして渡すか。その中でもLINEは、国際電話、一斉周知、待ち合わせなどに有効な優れたメディアです。 ある自然保護団体のリーダーに、一人の高齢者が「私もイベントに参加したいが、ネットは使わないので、手紙を送ってほしい」と頼んだそうです。そのリーダーは丁重にお断りしたと言っていました。 いまどき、メンバー一人一人に手紙を出していたのでは、活動はやっていけません。この高齢者のような「情報弱者」には、別途、何らかの手助けが必要だと思います。 ? 若者のコミュニケーション 意見対立を避ける若者たちの増加に対応した育成方法 若者文化研究所 西村美東士 若者を見るためには独特の方法論がある。まずは個人差を見る必要がある。その前提の上で、第一に、青年期特有の不変の課題を見いだす。これは、育成者自身の青年期を振り返れば、それなりには理解できよう。第二に、時代の変化を見る。育成者も同時代を生きる者として、一定の理解はできよう。第三に、世代としての変化(コーホート効果と呼ぶ)を把握する。同年齢のときに同じ時代を経験してきた者としての共通する特徴を見いだす必要がある。 今回の調査においては、「友だちとの関係はあっさりしていてお互い深入りしない」者(交際淡泊型)と、「友だちと意見が合わなかったときには納得がいくまで話し合いをする」を否定した者(逆転項目:非交渉型)が増えているが、2002年調査から増加してきた「どんな場面でも自分らしさを貫くことが大切」を否定した者(逆転項目:状況対応型、肯定した者は貫徹志向型とする)は、逆に減少した。(表1「非交渉型及びの状況対応型の若者の増減傾向」)。「あなたはあなたのままでいい」というメッセージが浸透しつつあるのだろうか。 表1 非交渉型及びの状況対応型の若者の増減傾向 項目 調査年 1肯定 2やや肯定 3やや否定 4否定 X(_) SD N 増加率 交際淡泊型「友だちとの関係はあっさりしていてお互い深入りしない」 1992年 8.3% 36.5% 45.2% 10.0% 2.57 0.783 1,105 2002年 8.8% 37.4% 36.4% 17.3% 2.62 0.871 1,087 1.5% 2012年 10.6% 40.9% 38.2% 10.3% 2.54 1.011 1,050 5.2% 2022年 13.2% 44.6% 32.6% 9.6% 2.39 0.833 628 6.3% 44.8 46.2 51.5 57.8 非交渉型 2002年 10.7% 39.0% 39.5% 10.7% 2.50 0.825 1,089 2012年 16.7% 47.0% 29.9% 6.4% 2.26 0.809 1,044 13.9% 2022年 21.2% 46.6% 26.5% 5.7% 2.17 0.824 631 4.1% 交渉型「友だちと意見が合わなかったときには納得がいくまで話し合いをする」 50.2 36.3 32.2 状況対応型 1992年 2.8% 28.0% 44.3% 24.9% 2.91 0.796 1,113 2002年 6.6% 37.6% 38.4% 17.4% 2.66 0.839 1,083 13.4% 2012年 8.6% 39.8% 36.7% 14.9% 2.58 0.845 1,046 4.1% 2022年 8.1% 36.5% 41.4% 14.1% 2.61 0.826 631 -3.8% 貫徹志向型「どんな場面でも自分らしさを貫くことが大切」 69.2 55.8 51.6 55.5 注)1(そうだ、そう思う)から4(そうではない、そう思わない)までの4件法。値が1に近いほど、該当する傾向が強い。ここで増加率とは、今回(1+2)%−前回(1+2)%。 上述の交渉と非交渉、貫徹志向と状況対応の2軸から4タイプを設定し、20年間の量的変化を調べた。貫徹志向非交渉型が増え、状況対応交渉型が減った。2012年に10ポイント以上減った貫徹志向交渉型は、減少傾向は続いたものの、1ポイント減にとどまった。(図1「4タイプの量的変化」)。 各タイプの他との比の差について検定を行った結果から、●1%有意、〇5%有意の特徴を手がかりに育成方法を書き上げると以下のとおりとなる。 @ 全体の3分の1以上にまで増えた「貫徹志向非交渉型」については、○自らの将来は明るいと思うとしつつも、「●選挙に行くべきとは思わない」と言う。彼らに対しては、経済的自立、職業的自立を味わわせるための、状況や場面の設定が必要と考える。そのためには、共同作業をさせる、運命共同体のような環境において、どのように合意形成すればよいのか考えさせるなどが有効と考える。 A「状況対応非交渉型」については、「状況対応」の苦痛を示す特徴が多く見られ、2012年調査と同様に、交友関係、自己意識、社会意識の多くの項目で、個人化・社会化の未達状況が見いだされた。●今の自分が好きとは思わないのほか、●自分も親のような家族を持ちたいとは思わない、●子どもの頃、家でクラシック音楽のレコードやCDをきいたり、家族とクラシック音楽のコンサートに行ったりしなかったなど、成育歴やこれまでの文化資本の格差の問題を感じさせる。彼らの言う自分らしさとは異なる意味での「自己」を確立するための支援(自立支援)が重要であると考える。 B「貫徹志向交渉型」は、●自らの将来は明るいと思う、●親友とはケンカをしても仲直りできる、●自分には自分らしさというものがある、●人の話の内容が間違いだと思ったときには自分の考えを述べるなど、以前の結果と同様の積極性が多く見られた。しかし、〇恋愛交際をするなら結婚を考えるべきなどの「べき論」の強さについては、自己の信念と反する他者を許容できないなどの、「生きづらさ」にもつながりかねない。他者のニーズや組織の課題に対応して、一元的自己のどの側面を発揮するのか、その戦略を立てられるように援助する必要があるといえよう。 C「状況対応交渉型」については、前回までは、交友関係、自己意識、社会意識などの各側面において、充実した様子が見られたのだが、今回は●自らの将来は明るいと思わない、〇いつも友だちと連絡をとっていないと不安になる(個人化の未達の表れか)などの消極面が現れた。個人化の進む今日において、このタイプの減少とともに、「交渉型」の難しさを示す一端と思われる。  2003年の「青少年育成施策大綱」では、「自分の意見をもち、自己を表現し、他者を理解し、他者に働きかけ、家庭や社会のために自ら行動する、積極的、能動的な側面を併せもつ新たな青少年観への転換」が提唱された。しかし、まちづくりなどに関わる稀少な若者においても、意見が合わない人と「納得がいくまで話し合う」ことをスルーする者が多いと筆者は体験的に感じている。交渉型の生き方は困難を極めているといえよう。このような状況にある若者に対して、上に挙げた「将来に向けての」社会化支援、個人化支援だけでなく、居場所において「そっと肩を押す」ような「今ここでの」第三の支援が求められていると筆者は考える。 BBSにおける教師の「介入行為」 ワークショップ型授業の構成要素とその効果−学生の自己決定能力を高める授業方法 2000.pdf 2000.txt 2日間の「生涯学習概論」の授業で、学生がどのように自己や他者に対する気づきを得たのか、その変容の過程を解明することによって、学生の自己決定能力を高める授業の構成要素とその効果を明らかにした。第1に、ワークショップ型授業によって、即自から対自へ、対自から対他者へと学生の気づきが促され、対他者から再び対自や即自のより深い気づきへと循環する過程が明らかになった。第2は、学生の自己決定能力の到達段階の把握に基づく戦略的な指導内容と授業構成の必要性が明らかになった。 著書 C2 単著 大学教育学会 『大学教育学会誌』 22巻2号 B5版 pp.194-202 9p 5-1.自己決定能力を高める授業方法  学生を自己や他者存在への気づきにまで導くためには、一方向の一斉承り型講義では時間がかかる。双方向の授業や学生同士の共同作業によるワークショップ型授業は、現代青年を自己決定の態度に向かって変容させるために一定の効果があるといえよう。  学生の「即自」→「対自」→「対他」という気づきの発展過程の仮説は、部分的には検証された。しかし本研究では同時に、他者への気づきが「対自」や「即自」の気づきに再び転化して深まっていくことが確認された。  気づきの循環を効果的に支援するためには、個人の生涯の時々と生活の各場面に、自己と他者とのトータルな相互関与を体験する機会をいくつか用意する必要がある。これを高等教育において実現するためには、「問わず語り」の場を数多く用意することが必要であろう。  さらに、一人一人の自己内対話をどう促すかという教育的視点が求められる。ワークショップでの対他者の体験だけで自己を質的に高めることはできない。他者との相互関与とともに自己内対話の充実こそが、現在、若者が顕在的に求めている「癒し」「居場所」の中でのように「あるがままの自分」でいられることにつながり、さらには自己対社会・自己対歴史の学問の広がりにまで通ずるのである。自己決定能力はこのようにして育まれると考える。 5-2.ワークショップ型授業の構成要素とその効果  上の視点に立ち、今後求められるワークショップ型授業の構成要素を考えたい。  今回の授業における指導者の行為は、課題提示(問いかけ)、紹介(読み上げ)、回答(レスポンス)、指示(ワークの進め方)が頻繁に行なわれた。そのことによって、役割提供機能(ワーク)、表現支援機能(文章、話し合い、発表)、受容機能(学生の表現への評価)、課題解決機能(気づきの促進)、揺さぶり機能(固定概念の打破)を発揮していたと推察できる。  しかし、その効果は、学生の到達段階やその循環の程度によって左右されることが明らかである。  受動的に生きてきたと自己規定する学生にとっては、表現支援機能や受容機能による学習が大きな部分を占めていたと考えられる。日常で避けてきた「新しい関わり方」を体験し、他者への肯定的関心と自己への気づきにつながったといえる。  次に、自己決定がしづらいと認識していた学生に対しては同様の効果があったと思われるが、それ以上のものは得られなかったようである。これらの学生に対しては、より質の高い課題を提示することによって、もっと高いレベルの気づきを促すことが重要といえよう。  このように、ワークショップ型授業の構成にあたっては、学生の変容がどの段階にあるのかをたえず把握しながら、適切で柔軟な授業を組み立てることが求められる。学生が到達した質的内容に応じたグループ編成や展開方法も検討の価値がある。適時処理が行なわれず、終了後に教師が講評で補完する事態では、ワークショップ型授業の意義は薄いのである。  また、学生のもつ固定概念を揺さぶり、自己と他者との関わりのとらえ直しを促すことが大切である。自己内対話の深化を含めた気づきの支援機能の充実が重視されるべきであろう。  また、若者たちは、おしゃべり(双方向)も華やかに上手に交わすことができる。雑誌「教育」(国土社)が「おしゃべり症候群」を特集してその空疎を衝いたのは一九八五年だが、いまや「双方向の一方通行」ともいうべき恐るべき軽やかなコミュニケーションが成熟しつつある。言葉は交わされているが、気持ちは交流できない(しようとしていない)のである。「それがおしゃれだし楽しいのだから」と若者は言うのであろう。 その若者たちが現在60代になって、おしゃべりの後の帰宅後の空しさ これがSNSの常時接続で帰宅後にも楽しくおしゃべりが延長されている 中高時代の懐かしい友達 その後の友達の減少 現代の若者も中高時代の友達を  1980年代に私が社会教育現場におけるパソコンの情報活用を提唱したとき、上司から「パソコンを持っていない貧乏な人はどうするのか。行政は貧乏な人のためにあるのだ」と反対された。しかし、若者のバイトにとっても高齢者の生涯学習にとってもネットが必須の今こそ、この上司の言葉の実現を求めたい。フリーWi-Fiの提供、公共施設におけるネット環境の整備等、やるべきことは多い。 西村美東士(にしむらみとし) 専門は社会教育学、青少年教育、ICT教育。東京都社会教育主事、国立社会教育研修所、昭和音楽大学、徳島大学、聖徳大学、板橋区社会教育指導員(中高生の居場所づくり)を経て、2020年4月より若者文化研究所代表。著書に『癒しの生涯学習(増補版)』(学文社、1999年3月)、「パソコン通信は生涯学習に何を与えるか」(日本視聴覚教育協会『視聴覚教育』、1989年10月)など。WEB: http://mito3.jp 参照URL 青少年研究会調査結果 http://jysg.jp/img/jysg22_young.pdf 青少年研究会調査結果分析 http://jysg.jp/img/JYSG2022researchreport.pdf うち西村美東士「意見対立を避ける若者たちの増加に対応した育成方法」 西村美東士「パソコン通信は生涯学習に何を与えるか」 http://mito3.jp/seika/0440.pdf 西村美東士「若者論のトレンド:若者理解のための図書コーナー」(WEB) http://mito3.jp/syohyou/