社会にとって趣味とはなにか −文化社会学の方法規準− 北田暁大 編 出版社: 河出書房新社 発売日: 2017/3/25  この本は、ブルデューの文化資本(学歴や文化的素養)の概念によらず、趣味がもたらすテイスト(センスの良さ、悪さ)によって差別化され、階級が再生産されるという彼の見解について、量的調査も交えて批判的に再検討する。たとえば、同書がテーマとする「平成時代の若者文化」としてのオタク、サブカル等においては、過去の「テイスト論」は成り立たないという。  そのための基本的な理論的・方法的視座を提供するため、次の点について論じていく。「文学は死んだ」と文学者たちによって繰り返される言説の潮流のなかで、いかに揶揄されようとも「文学」はテイストを証明する保証書として生きてしまっていること。「他者との差異化・差別化・卓越化」といった論点が、ユニクロなどのファストファッションにおいて無効化されたのかなど、モード、卓越化の典型的な手段として言及され続けてきたファッションにこそ、卓越化理論の社会理論としての性能を見きわめる鍵があること。ときに他者との差別化をきわめていると言われ、またときに他者との差異化に関心がないとされる「おたく」という自己執行的・他者執行的なカテゴリーの生成期に注意を向けた場合、「おたく」は差異化・卓越化を目指し知を蓄積・披瀝する近代の極北ともいえるし、一方で異質な他者との差異化に関心を持たない内向性をきわめた存在として、ずいぶんと便利にメディアや批評において使われ続けてきたカテゴリーであるということ。最終章で北田は、差異化の論理そのものを失効させるという点で共通しつっも、「二次創作」にコミットする男性オタクと女性オタク(腐女子)を、作品の読み方(受容姿勢)という観点から分類したうえで、両方が同じ「オタク界」に位置するとしても、ジェンダー規範空間という観点から見た場合、いかに同床異夢の状態にあるか、を自認とは別の角度から(操作的に定義された類型にもとづき)問題化している。差異化・卓越化の論理が消失したともいえる界における男女差は何を意味するのか。ここにおいても、ジェンダーという変数の重要性が確認される。  北田氏は、腐女子(BL-男性同性愛の漫画や小説を好む女性)をフェミニズムの表れととらえ、「きわめて洗練された形で、それぞれの方法で男性中心主義的な世界観に異議を申し立てている」とする。そして、「アニメもBLもどうでもいい」という考えに対して、政治的連帯・社会的な関係性構築の資源の存在から目を背けることになるという危険性を指摘する。  評者は考える。オタク、サブカルなどの趣味が、他者との差別化だけでなく、逆に紐帯としても機能していることは事実であろう。実際、クラブ通いの友人を得た地方出身の若者の東京定着率が高いなどの効果が他の調査で明らかにされている。だが、階級的な差別化とは異なる独自な自己の確立という「個人化」と、それに加えての「異質な他者との交流と共有」という「社会化」こそ、教育が追求すべき価値といえよう。そのとき、オタク、サブカルを含めた生徒たちの趣味に注目し、干渉することなく、機会をとらえて望ましい個人化と社会化の契機になるよう働きかけることが、教師にとって重要といえよう。