提言―高齢者の生きがい対策と人材活性化の方向 提言一高齢者の生きがい対策と人材活性化の方向一本研究成果から生涯学習社会貢献センターのあり方を考える― 聖徳大学人文学部教授西村 美東士 (1)はじめにー「深まり,広がり,つながり,深まる」 本研究においてわれわれは,「高齢者と開発」Iの視点から高齢者の「学習・社会参加」7活動の意義に注目し,SOA受講者へのアンケート調査結果を分析してきた. 高齢者は,「心身がおとろえ,健康面での不安が大きい」(72.3%),「収入が少なく,経済的な不安が多い」(33.0%)というイメージを持たれがちである. しかし,反面,「経験や知恵が豊かである」(43.5%) 3という肯定的なイメージもある.後者を伸ばし,深めることによって個人が生きがいを見いだし,さらにはそれを社会的なつながりのなかで生かしていくことが,高齢者個人の生きがいをより確かなものにすると考えられる. 本研究においては,高齢者の「学習・社会参加」活動ニーズのなかに,その循環作用の可能性を見いだすことができた.この循環を「深まり,広がり,つながり,深まる」という言葉で言い表すことができよう, 本章では,本研究成果から得た視点に基づき,「高齢者の生きがい対策と人材活性化」のための実践・研究の望ましい方向を明らかにしたい.そして,それが,近く開設される聖徳大学生涯学習社会貢献センターにおいて実現することを願うものである. (2)高齢者の理解 1. 「オールド」の重層構造の理解と対応 筆者は森幹郎らの知見1を紹介し,「高齢者教育における学習課題のとらえ方」 I第2回高齢化に関する世界大会「高齢化に関するマドリッド国際行動計画2002]. 2 「高齢社会対策基本法」(1995年施行)における施策の指針. 3百分率はともに内閣府「年齢・加齢に対する考え方に関する意識調査」,2004年. 4森幹郎「高齢化社会における高齢者教育」,国立教育会館社会教育研修所「高齢者教育の目標と内容』, 183 W 提言ー高齢者の生きがい対策と人材活性化の方向 について次のように考察したことがある5.「高齢者の生きがい対策と人材活性化」において,まず必要になるのは,「オールド」を十把一絡げにとらえるのではなく,その重層構造を理解し,各層の特徴を理解することであろう. I)ジェネレーションとライフステージ 高齢者教育における学習課題をとらえるためには,まず,成人一般の学習課題の把握が必要になる.その上で,高齢期特有の学習課題をとらえるためには, 大きく二つの観点が考えられる. 一つは,高齢者として同じ歴史的体験をしてきて,関心や考え方などに共通するものがあるというジェネレーション(世代)の観点,二つは,それぞれの高齢者が年をとること(加齢)によって受ける心身への影響には共通するものがあるというライフステージ(発達段階)の観点である. 前者のジェネレーションの観点でいえば,戦前に青年期を過ごしてきた人間が現代を生きていく時の,苦悩,喜びなどを理解し,それを援助するとともに, 現代社会が反省しなければいけないことを,今を生きる社会の一員として有効に提起してもらうために必要な学習課題にも,目を配ることが大切である. 後者のライフステージの観点については,森幹郎氏の指摘が重要である.それは,老人問題を論ずる場合,暦年齢chronological agesではなく,社会年齢 social agesや機能年齢functional agesでとらえることが必要だということである.そして,年をとり,かつ,労働を引退した人を,「社会年齢の上での老人」(ヤングオールド),身体的,精神的,心理的に老衰し,かつ,日常生活行動の上で他人の介護を必要とするようになった人を,「機能年齢の上での老人」 (オールドオールド)として,区別して考える必要があるという. 2)個人的課題と社会的課題 つぎに,高齢者教育における学習課題には,個人的な側面と社会的な側面とが考えられる, 「個人的課題」とは,「退職後の生活設引」「余暇活動」「老いの受容」「死の受容」などに関するものである.とくに,「老い」や「死」を受容するか否定するか,あるいは逃避するかは,まったく個人の精神的内面に関わる問題である. しかし,あえてそれを「学習課題」としてとらえて,その学習を援助する手だてを探り出すことが,高齢者教育を行う者にあらためて求められている. 1987 iえ 5西村美東士「生涯学習か・く・ろ‘ん」学文社,1991年,223-225頁 184 [V 提言ー高齢者の生きがい対策と人材活性化の方向 「社会的課題」については,LESS DEPENDENCY EDUCATION =「できるだけ他人に負担をかけないための教育」(森幹郎)が重要である.その内容は,ヤングオールドに対しては,再就職教育,予防的健康教育,オールドオールドに対しては,リハビリテーション訓練などがあげられる.その他,本研究においてすでに指摘したように,高齢者の経験や知恵を活かし,若い世代と交流すること自体も社会的意義をもつ学習課題になりうると考える. 3)「オールド」の重層構造 以上から,高齢者を次のように重層的にとらえたい(表W-1). 表lv-i 「オールド」の重層構造 暦年齢(目安) 社会年齢 機能年齢 オールドオ一ルド 75歳以上 意義深い引退 介護させてあげる ャングオールド 65"75歳 労働引退・活動現役 よき依存者への準備 オ―ルドャング 60・65歳 労働現役 介護させてもらう 「学習・社会参加」活動が,労働・その他の活動・引退後の活動へとシフトする実態を構造的に理解し,各段階に応じた効果的な支援方策を研究・実践する必要があるといえよう. 2. 「コーホート」としての高齢者理解と対応 前節でジェネレーション(世代)の観点の必要性について述べた.「世代」とは生まれた時代が同じ人々の集まりという意味であり,これを出生コーホート (略してコーホート)と呼ぶことができる. 高齢者個人個人も,時代の変化による「時代効果」,年齢の変化による「加齢効果」のほかに,出生年代の違いによる「コーホート効果」を受けていると考えられる. たとえば,もうすぐ「オールドヤング期」に突入する「団塊の世代」についてはどうだろうか.戦後のベビーブームのなかで生まれ,日本経済の高度成長期とともに育ち,若者の「異議申し立て」の時代に青春期を過ごし,バブル崩壊後の日本経済を支えながら今日に至っている.そこには,彼ら一人一人の加齢や今日の時代の変化からだけでは把握しきれない特徴があるはずである. 「団塊の世代」には「団塊の世代」特有の特徴と,それに関わって「学習・社会参加」の課題がある.「団塊の世代」に対して効果的な高齢期準備教育を提 185 W 提言一高齢者の生きがい対策と人材活性化の方向 供するためには,その「コーホート」としての研究が必要になると考える. 3. 「現代都市高齢者」としての対象理解 著者は,東京と神戸の青年を対象として,人間関係・メディア接触行動‘意識の準拠などを調査し,その調査結果を多角的に分析している6.そこでは,次のように考えた.現代の青年が生まれ育った時代は,誰もが「豊かな生活」を享受するようになった時代であり,この時代を解き明かす鍵は「世代」と「都市」である.そのため「現代都市青年」は重要なキーワードになっている. それでは,本研究が対象とする高齢者の場合はどうなのか.とくに,新設される聖徳大学生涯学習社会貢献センターにおいては,「現代都市」に住む市民を主対象とすることになるだろう.また,地方においても,高齢者が都市化の波を受け,価値観や生活様式を一変させていると考えられる, 多くの高齢者は,好むと好まないとにかかわらず,自らの「時代」や「世代」 が「現代都市」と結びついた時空間で生きている.これを「現代都市青年」とのアナロジーから「現代都市高齢者」というキーワードで把握することができよう.今回の調査結果からも,「現代都市高齢者」の側面を表すニーズや課題が浮き彫りにされたと考える. (3)高齢者の個人としての幸福追求の支援 筆者は,SOA公開講座である生きがい探しの時代「新しい自分を創る」において,平均年齢64歳(多くは労働引退直後のオールドヤング)の受講者15 名に対して,カード式発想法『幸せの瞬間』7のワークショップを実施する機会を得た.これは,「幸せの瞬間」のカードを出し合い,「気持ちが似ているもの」 を「島」にして,その「島」に表札をつけるというものである.そのグルーフ。 成果は表のとおりである(表W-2). 6高橋勇悦監修,川崎賢一・芳賀学・小川博司編 陪ド市青年の意識と行動」恒星社厚生閣,1995年. 7西村美東士「癒しの生涯学習」学文社,1997年,136頁. 186 N 提言ー高齢者の生きがい対策と人材活性化の方「Iり 表IV -2 カード式発想法『幸せの瞬間』クループ成果(SOA受講者) 第1グルーフ’ 表 札 カ 人まかせの幸せ 自分で作らずに,おいしいものを食べている私 喜こんでもらう嬉しさ ハーブ茶(レモングラス)を作り友人にプレゼントしておいしいと喜ばれた時 健康でありがたい 気持ちよく目ざめた時 朝6時丁度に目がさめた, ぐっすり寝むれた ひとりの世界 うたた寝から目ざめた時 ささやかな幸せ 主人と散歩の日々,現役から引退して話をしながら楽しく過す今日この頃 今の平和な幸せ 一日を終えて湯舟にっかった時 家族が集まってわいわいと食事ができたひととき ラッキ一 グランドゴルフでホ一ルインワンを出した 努力が実ったI ナイスショットをした時 散歩の効果として,西沢渓谷や尾瀬で完歩できた喜び 価値感を共有する 会話中に気持ちが通い合えたと実感した時 この時一緒の人たちの笑顔 自然の恵み 太陽のありがたさ やっと実現できた コンサ一トチケットがとれた こたえがすぐきた メールにすぐ回答が来た 第2グル―プ 自分のなすがまま 酒を飲みながらクラシックを聴くとき 家の中をきれいにして,一人で歌を歌っている時 ー体となって遊んでいる 孫が来てトランプをやった時 かまってもらう 21日の台風23号の翌日,孫から 「ヂイヂ,大丈夫」と電話があった時 友人から電話が有り,長電話をしたとき どっちが主でどっちが従か ひさしぶりに夫とゆっくり話しをした 自分が育てた ミニシクラメンがきれいに咲きそろった 愛している家族の元に生還した 長い間苦しんだ狭心症で心臓バイパス手術をし,全身麻酔からさめた時べットの横に家族の顔がおぼろげながら確認できた時 上には上があるもんだ (そば打ちを習っていて)プロの作ったうまいそばに出会った時 すてきな出逢い 買い物に出かけた時,すてきな喫茶店を見っけた(店主がすてき) っくる喜び 夕食の支たくをしている時 うまくいったぞ 料理をして思ったより良く仕上った時 喜んでもらえた 老人ホ一ムで絵本の読み聞かせをしたら,皆が喜んでくれた時 健康だ 健康診断で異常なしと言われた時 第3グループ 仕事や遊びをみんなでやり切った 自分で企画したことが,他者と共に実行して完成した瞬間 187 W 提言一高齢者の生きがい対策と人材活性化の方向 どうだ,専門家を出し抜いたぞ 自分の思い通りのレース展開で馬券をあてた時 窮屈から解放されてほっとした スキーを終え,スキー靴をぬいだ瞬間 これから楽しいぞ 山登りの予定を考えているとき やった,到達したぞ 山登りで頂上を極めた瞬間 今日もー日終ったね 布団に入って庭のレイアウトを考えながら寝入ってしまった時 べッドで寝る前に本を読めること 古典落語を聞きながら途中から寝入る 今日も健康でー日が始まる 朝すっきりとめざめて,すみゃかに動くことができる 仕事しなくてすむ 主人が今晩は外食だと言った時 空気がうまい ドライブで目的地の空気のきれいな高原に降りた時 ほしい物を手に入れた 自分のほしい物を買ったとき 自分だけ気楽,自分だけの時間 仕事を辞めて,今は朝のウオーキングができる 午後,3時ごろ,腰湯にゆっくりひたっている時 家族と共にあって, しかも私ってすごい 私にとって,新しい料理をエ夫しながら作った時,家族が食べて喜んだとき 夕食で皆とー緒に食べられ,「おいしい」と言ってくれる時 これに対して,大学授業で同様のワークショップを行ったところ,女子大学生1年生のあるグループの成果は次のとおりであった(表W-3). 表IV -3 カード式発想法『幸せの瞬間』グループ成果(大学1年生) 表 札 力 暇な時間ができた 嫌いな授業が休講になった時 すごく嫌な授業がいきなり休講になった時 ラッキー 帰ろうとして駅に行ったら,ちようど電車が来た うーよく寝た 誰にも起こされないでぐっすり寝れた時 ただいま― 久しぶりに家に帰った時 ノぐちゃくちゃ 楽しく話してる時 ありがとう 人にかわいいねって言われた時 私にホレたな, あかちゃんが笑ってくれた時 小さい子が自分をみてほほえんでくれた時 次は何が起きる? よいことがっづいた時 ぽかぼか すっごい寒い日に家に帰って温かい飲み物を飲んだ瞬間 さむい時,ほかほかのさっまいもを二っにわった時 すごくさむい日に,足の先と手の感覚がなくなるくらい冷たくなった時,おフロに入って手と足があったかくなる瞬間 さむい時にあったかい飲み物を飲んだ時 もぐもぐ お母さんのあったかい手料理を食べた時 おいしいご飯をお腹いっぱい食べた時 おいしいデザート食べたときの一口め 188 lv 提言ー高齢者の生きがい対策と人材活性化の方向 大学授業でのワークショノプについては,文章化作業も行い,次のような成果を得た. 今回のワークでは,8つの種類の幸せの瞬間を抽出した.第1は,「暇な時間ができた」 「ラッキー」といった,嫌いな授業が休講になったときや,ちょうど電車がきたときのような幸せである.これらは「運まかせ」のものといえる.第2は,「うーよく寝た」の誰にも起こされないでぐっすり寝れた時の幸せである.これは「あくせくしないで休んでいるときの幸せ」といえる,これら第1,第2の幸せに対して第3は,「周りの人のおかげ」のもので,「ただいまー」の久しぶりにわが家に帰ったときの幸せである.これは寮生の気持ちである.第4は 「ぺちゃくちゃ」で,友達や家族となんでもないような楽しい話をしてるときの幸せである,これは自分と相手のたがいの行為によって成り立つものといえる.第5は,「ありがとう」の,人に「かわいいね」と言われたときの幸せである.これは素直に喜べた瞬間である.これも,相手の行為とともに,それを受け取る自分の素直さが必要になると考えられる.第6は,「私にホレたな,」の赤ちゃんや小さい子が自分を見て笑ってくれたときの幸せである‘この幸せのためには,相手を「かわいい」と思う気持ちが自分になければ成立しない.ちなみにこの表札は力作であると自負している‘第7は,「次は何が起きるの?」の,よいことがつづいたときの幸せである. しかし,これについては,幸せな瞬間が続きすぎて逆に不安になってしまうようなときもある.そして第8は,「ぽかぽか」「もぐもぐ」といった,寒いときに暖かいものを食べた時や飲んだ時,そしておいしいものを食べたときの幸せである.これは,今ちょうど秋なので,食欲の秋ならではのたくさんのカードが出た.こんなささいで単純なことで,ハートがあたたかくなるのだ.いろいろな意見が出たけれど,みんなが納得できるような幸せばかりだった,みんな共通の幸せを感じているのだと考えられる‘(傍点は引用者) この文章成果における「みんなは」という言葉は,正確に表現すると「(グル ープのメンバーとしての)女子大学1年生の6人は」ということになる. しかし,抽象化された「周りの人のおかげ」や「ぽかぽか」などの「幸せ」は,高齢者を含めて「みんな共通」といってもよいと考えられる.比較すると20歳前の学生と60歳を過ぎた人とが「気持ち」のレベルでは驚くほど、似ている。 しかし,たとえば,「暇な時間ができた」は,当てはまらない高齢者もいるだろう,逆に,SOA受講者の「愛している家族の元に生還した」は,当てはまる学生は少ないと思われる. このことから,高齢者の個人の幸福追求を支援しようとする場合,年齢や世代による特性を把握するとともに,「人間存在として」あるいは「同時代に生きる者として」共通するニーズを忘れてはならないということがいえる. そして,表W-3-1 で紹介したようないわば「ささやかな幸せ」が,高齢者にとっての(青少年にとっても)生きがいの支えになっていることに留意したい. このような「個人の充実」に支えられてこそ,以下に述べる「社会参加」も, 189 提言一高齢者の生きがい対策と人材活性化の方向 より充実したものになるといえよう (4)高齢者の社会参加支援のあり方 11. 「私は本当は何がやりたいのか」ということへの気づき 筆者は,先述のSOA公開講座において,『幸せの瞬間』のワークショップの翌週,同じくカード式発想法により「私がやりたいこと」を実施した.そのグループ成果は表のとおりである(表IV-4). 表IV -4 『私がやりたいこと』グループ成果(SOA受講生) 第1グループ 表 札 カ 創年クラブをっくる 市民活動「サロン」をっくりたい.(ふらっと来れる場所)たまり場にしたい. 独居老人(男性・女性)で気軽におしゃべりやお茶をのめる場所がほしい. テーマを決めて皆さんと話合ってみたい(しゃべり場) 「圏書ルーム」 がほしい, パソコンルーム(施設)がほしい. 健康体操しながらたまり場を見っけたい. まっど市民ネットを発足させたい, ボランテイアのやりかたを教える仲間を作りたい. 災害ボランテイア 災害弱者を救いたい.(このたびの新潟中越地震災害で) 地域での救助活動グループができればいっでも参加したい, 子育て支援 児童相談員(学校,保育園,警察,保健所等と連携し,児童とその家族との相談相手になる.) 子どもが松戸の中心部では,安心して遊べる所が少ない. 子どもへの本の朗読をしたい, 若者のライフノ、ウス 年配者でも自由に気楽に出入りできるライブハウスに行ってみたい. ウクレレを楽しんでみたい‘ 集って楽しむ,昔をしのぶ なっメロを歌いたい. マージャンクラブをっくりたい‘ 趣味を生かす会 「デジカメクラブ」をっくりたい, 中高年の食事の料理教室 第2グループ 発表の場作り(サロン) 趣味の創作陶芸を発表したい. 趣味の展示 川リIIづくり(グループ作り)を基にする自分の趣味作品などの公表→ 作品展→講座づくり(多種) 生涯学習支援機能(コ 忙しく(両手で)電話を取って,事務のような月Iをしたい一 190 N 提言一高齢者の生きがい対策と人材活性化の方向 ーデイネーター) 企画,準備の手伝いをしたい, ~.I.活用 シミュレーションによる私の国自慢(紹介)をしたい. まちづくり協会の手伝いをしたい. 情報発信 活動中の趣味のグループを紹介したい. 絵本の読みきかせ(近くの小学校,老人ホームにて) お話を聞いてあげたい・相談にのりたい みんなのたまり場をっくりたい(子どもからお年寄りまで話を聞いてもらえる場) いろいろな人から相談ごとを聞きたい. 第3グル―ブ 野鳥を楽しむグループに入りたい バードウオッチング(野外活動)をグループでやりたい.(初歩なので鳥の名前を覚えたい.) わくわくデジカメと仲間づくり デジカメの仲間づくり,デジカメと旅行の会,仲間づくりをしてみたい.(旅行会社主催のものは味気ない.) 写真を楽しむ. みどりを育てる楽しみ 野菜の種をまきたい. 花の植え替えをしたい. 仲問とハイキングを楽しむ 歩く会に入りたい. 初歩的な登山(ハイキング)をしたい. ちよっと散歩か,紅葉ウオッチングに出かけたい. ミニハイクをして自然に接したい. 子育てボランテイア 子育て,保育をしたい. 何でもボランテイア ボランテイア関係のことをやりたい. 自分のできることでボランテイアを志願したい.(生涯学習社会貢献センターで) グループ交流会 色々な趣味のグループの交流会がほしい.(新しいグループを見っけて入るために) おしゃべりを楽しむ いろいろな人の話を聞きたい. しゃべり場をっくりたい.(聞き役) サロンがほしい. 陶芸を楽しむ 陶芸のサークルに入りたい.(現にやっている,) パソコンを楽しむ シルバーの仲間とパソコンの学習会をやりたい.(ボランテイアで) (多少は教えることができる) 本表で示したワークショップ「私がやりたいこと」のグループ成果からは, 次の2点を指摘しておきたい. 第1は,「ゆるやかな参加形態」の意義についてである. カードのなかには,社会貢献や社会参画の要素の強いものもあるし,「個人的趣味であるが,それを仲間とやりたい」,「サロンがほしい」,「おしゃべりがしたい」などのものもある.しかし,それらが津然一体となって「本当にやりたいこと」が構成されているのである. 前節では,社会参加が個人の充実によって支えられることについて述べたが, 同様に,社会参加活動自体も「貢献」や「参画」の要素の強い活動とともに, 191 提言ー高齢者の生きがい対策と人材活性化の方向 ゆるやかな「社会参加」をも巻き込んで総合的に推進されることが望ましいと考える 第2は,「私は本当は何がやりたいのか」という気づきについてである. 本研究では,SOA受講者へのアンケート調査結果から,とくに青少年に対する高齢者の「貢献」については,体力面等での心配や謙虚さなどから,高齢者自身が消極的傾向をもっていることを指摘した.実際,本ワークにおいても, 「人に教えるほどの器ではないから」,「それほど優れた見識や技能をもっているわけではないから」 という発言が多かった. しかし,本ワークでは,自由に「やりたいこと」を出し合うなかで,他者の 「やりたいこと」 にふれ,自己の「やりたいこと」を表明できたのだと考えられる.このことから,アンケートには「社会参加活動をしたいとは思わない」 と回答する人であっても,他者との相互関与のなかで解放され,「そういうことなら,私もやりたい」と触発されることがあると考えられる. 以上のことから,社会参加活動の推進にあたっては,「私は本当は何がやりたいのか」ということに気づけるように働きかけ,そのすべてを肯定的に受け止め,励ますことが重要と考える. 第3は,第2に述べた体力面等での心配や謙虚さ,さらには「人に教えるほどの器ではない」,「それほど優れた見識や技能をもっているわけではない」などの高齢者の社会参加の「阻害要因」について,そのような高齢者が安心して社会参加できるようなチャンスを開発・提供するための研究・実践が必要といえよう.そのことが「私は本当は何がやりたいのか」に気づくチャンスを提供することにつながると考える. そのためには,「教える人は学ぶ人,学ぶ人は教える人」という生涯学習における指導者/学習者間の双方向性,参画する青少年と参画する高齢者が交流し, ともに学ぶといった「共育」の意義の再評価が重要である. 2. 「潜在的学習・参加ニーズ」への気づきと高齢者への信頼 前節で述べた「気づき」は,高齢者にとっては「今まで気づかなかった自分への気づき」すなわち自己洞察ということができる.これを「氷山モデル」として図示しておきたい. 192 提言一高齢者の生きがい対策と人材活性化の方向 代に伝達していくという『第二次的』な任務(=教育)」を軽視しがちな大学教員の現状に対して,「高等教育における教員訓練研修プログラムに関連して利用してもらうのに適切なテキスト」として作られている.実際にロンドン大学では本書のような考え方のもとに教授法に関する教員の訓練などが行われている. そこでは,「学習は本来個人的事象であり,学習者自身が,自分のペースで, 自らの興味や価値観,能力,レディネス(学習への準備状態),背景となる体験, これまでの学習や訓練の機会といった要因に応じて達成していくもの」であること,すなわち「学習は個人的事象である」ことが基本テーゼになっている. したがって,「多人数で行なう講義」については「教師と個々の学生との間の物理的・心理的距離」などから「大学教育の教授形態として最も一般的なものではあるが,これまで述べてきた学習の諸原理とは最も相容れにくい形態でもある」としている.本書でこの「講義法」に対置されている教授法は「小集団討議法」「個別的・自主的教授=学習法」などである. また,本書では,McLeishの著をひいて「講義方式に関して注目すべきことは,学生が教師の講義内容を自分の理解できる範囲で,習慣的にノートをとりながら聴く場合に,学生が講義終了後にその重要な情報の40%以上を記憶していることはまずなく,一週間後にはさらにその半分しか記憶に残らないということである」と述べている.また,ヘイル委員会報告書の「講義方式の濫用は, その講義者にとっても受け手にとっても中毒性の麻薬と分類さるべきもの」という論評もひき,それを支持している. 従来の社会教育においても,「問題解決」に結びつかない講義型の学習が,同じ顔ぶれの学習者を集めて何年も繰り返し行われる場合が多少はあったと考えられる.それでも学習者は満足してしまうという魔力を「学習」はもっているのである. しかし,このような「集団一斉承り型」の講義形態だけでは,いつまでも」血肉化しない「学習中毒」に陥る危険がある.参加・参画型学習は,「学習中毒状態」から学習者,指導者を我に返らせ,今までの「学習」を,「個人的事象」としての本来の学習,問題解決のための到達目標のある学習,知識だけでなく技能習得や態度変容まで含めて」hl肉化する学習に戻していく力をもっていると考える. (5)学習と参加の新しい仲間関係をめざして 高齢者の「学習・社会参加」活動において,「個人が消える」要因として「みんな主義」 が考えられる.「みんなのためにやろう」とか「みんなで決めよう」 194 とかの言葉によって,自己のミーイズムを隠蔽し,個性を自己規制し,相手の独創的なアイディアまで抑圧するときさえある.権威主義的なピラミッド型組織はもちろん,これを忌避してこのような「みんな主義」のもとに同輩仲間(ピア)との協調・同化に走れば,個の発揮はなされず,同様の結果に陥ることだろう 個人にとっても,ピアに同化することによって,いったんは癒されるかのように感じられても,その同化には無理している面があるから,次第に「本当の自分」や「自分らしさ」を失うような「癒されない」感覚に陥ることになる. いわば背中合わせにイッキ飲みをしているような状態である.これを 「みんなぽっちの世界」(富田英典他)と呼ぶことができよう.ちなみにピアにとって外の世界との関係はそれ以上に希薄であり,「仲間以外はみな風景」(宮台真司) ということができる. これに対して,ネットワークでは,個人が自立的な価値をもちながら,ある目標のもとに自発的につながりあう.そこでは自立と依存,距離と親密の二項対立がときほぐされ,両者が自由に行き来するようになる.学習と社会参加のコミュニティは,地縁コミュニティと異なり,このようなネットワーク的な性格をもっていると考えられる.しかし,今のところ,多くの人がネットワークを支えるほどの成熟社会には至っていない.「自分らしさ」は大切にしたいが, かといって,他者や社会との関係の中で自分らしくいるための位置決めはできない.そこで,今あるピアの中で安住しようとしたり,さらには 「本当に自分らしくいられるところは自分の部屋だけ」という閉塞状況に陥ったりもする. そういう状況の中で,ピアから脱却してネットワークに至るためにはどうしたらよいのか. 第1に,「初めの一歩を励ます」ということである.「だれにでも明るく心の扉を開く」,「失敗を恐れずものごとに果敢に挑戦する」という言葉は無茶としか言いようがない.それよりも,開きたい心を,開きたいときに開き,そして初めの一歩を恐る恐る少しだけ踏み出すよう励ますべきである.第2に,「ミニ・ヒエラルキーの形成を早めにつぶす」ということである.異質同士なのに対等,そして流動的というネットワークの中の人間関係に不慣れな人は,どうしても「先輩面と後輩面」の関係を持ち込もうとする.その関係には安定性があるからだ.いつのまにかリーダーまでそれに頼っているときさえある.ネットワークにするためには,この萌芽を目ざとく見つけて,定着してしまわないうちに除去する必要がある.第3に「潔い撤退を促す」ということである.「みんなのために仕方なくやっている」という人は,ネットワーク自体の自由性, 自発性をも損なっていく.潔く撤退して,その人が「積極的積極」を自己決定できるところを別に探してもらうのが,本人にとってもネットワークにとっても望ましい.一つのネットワークで,すべての人を背負い込むなどということはできないのだ. 要は,一人一人が,ネットワークを楽しいと感じ,「人によって癒される」という実感をもつこと,そして,自分のできる範囲内での役割発揮の具体的な展望と見通しをもてるようにすることが重要といえる. このような支援が,「個人が消えない」学習と参加の仲間関係を創り出し,ひいてはそれが高齢者の個人的充実と社会的充実を,そして「深まり,広がり, つながり,深まる」という望ましいサイクルを実現すると考える.