ロール・プレイングの活用                国立教育会館社会教育研修所 西村美東士 1 てれないで、ロールプレイング  ロールプレイング・・・、横文字だとrole playing、「役割を演ずる」という意味です。「社会学」や「心理学」でも使われている言葉ですが、ここではグループ活動において普通に行うことができるやり方として紹介します。  これは、いわば「模擬練習」のようなものと考えられます。つまり、実際のある場面に遭遇する前や遭遇した後に、メンバーの数人がそこで登場するそれぞれの人になったつもりで「劇を演ずる」のです。「試しにやってみる」、あるいは、「再現フィルム」という感じです。  こういうものには、妙にノリのようなものを感じてしまっててれくさい、ついていけないという人も多いと思います。しかし、「効果絶大」なわけですから、あえてノリの精神で、すなわち「遊び心」で気楽に取り組んでもらいたいと思います。  ロールプレイングはたとえば次のように行います。もちろん、実際に行う時には順序を逆にしたり反復したり飛ばしたりして、臨機応変に行います。 (1) 問題の状況を共通理解するために、メンバーから当人への質問などを中心にして話し合う。 (2) 演者がその問題の場にいるつもりで、それぞれの立場を演ずる。「その人だったら、その場では、こう思って、こう言うだろう。」と自分がその人になったつもりでアドリブで演じます。特に、出だしが難しいと思います。照れくさくて、ついニタニタしたり吹き出したりしがちです。出だしの言葉だけは決めておくのも良いでしょう。 (3) 演技が終わったら、演じた者が「この時、こんな気持ちがしました。」などと、感想を披露する。 (4) 演じた者、見ていた者の両方が感想や意見を述べあう。 (5) もう一度、演技をやり直してみる。・・・  なお、演者および演ずる役割についても、ある一つの問題についてでさえさまざまなバリエーションが考えられます。また、グループ内部の人間関係の問題などでは、「役割交換」といってお互いが合意して相手の役割を演じることもできます。これなどは、成功すれば驚異的な効果が得られるでしょう。 2 ロールプレイングによって実感をともなって見る  グループ活動の中ではさまざまな問題がおきます。「人と出会うこと」とともに、「ものごとやできごとと出会うこと」もグループ活動の特徴であり、むしろ長い眼ではそれは魅力とも見るべきでしょう。  たとえばある女性メンバーの悩み・・。父親が、そのグループについて理解を示してくれていない、「例会の日は、いつも帰宅が遅くなる。」と言って、それを理由にグループ活動をやめさせようとしているとします。  この問題について、グループで論議しようとしても、その前によくわからない所があります。その父親はどういう性格の人なのか、「父親の反対」といってもどの程度の「反対」なのかなど、言葉による説明だけでは伝わりきれません。  また、それが伝わらないままで机上の議論をしても、事実誤認の上で論議が進んだり、「女性だけ先に帰るようにしたらどうか。」、「いや、悪いことをやっているのではないのだし、男も女も遅くなってもゆっくり話す機会がほしい。」などと、論議が空回りしたりしてしまいます。  これに対してロールプレイングならどうでしょうか。たとえば、とりあえず当人である彼女には横で見ていてもらって、他のある人が彼女の父親の役割、他のある人がグループの代表として理解を得るためにその父親に話しに行くという設定で役割を演じたとします。  演技の途中で、彼女は「うちの父なら、そんな言い方はしないと思うわ。」などとアドバイスするようにします。そうすれば、演者も、見ているみんなも、彼女本人でさえも、だんだんその問題が実感を伴った事実として見えてきます。この「実感を伴って見る」ということか、ロールプレイングのだいじな所です。  第一に、この「実感を伴って見る」ということによって「模擬練習」としての効果を発揮します。  もしロールプレイングをせずに抽象的に議論しただけで、具体的にどう言えばいいかはみんなにもわからないまま「代表」が実際に父親に「説得」に行くとしたら、「代表」になった人はかわいそうです。彼女の父親を前にしてドギマギしてしまうでしょう。いざしゃべる段でも、どう言っていいかわかりません。ましてや、みんなで抽象的に議論したことを自分の言葉に反映するなどというのは至難のわざです。  しかし、ロールプレイングで実感を伴った「練習」をしておけば、その「代表」はずいぶんやりやすくなります。また、みんなも、模擬的ではありますけど父親の反対という「ものごと」と出会い、リアクションとしての自分の気持ちも確認し表明することができます。そして、「代表」もそういうみんなの気持ちを実際の「説得」の言葉に反映しやすくなります。 3 「信頼感」を呼びおこす  第二に、他人や自分の気持ちがそれまでよりわかるようになります。  人間には意識的に、無意識的に隠している自分の気持ちがありますし、いつもは気がついていない「他者」や「自己」があります。他人を演ずることや、その演技を見ることによって、「その人が実際にその場でどんな気持ちをもつのだろうか」ということを具体的に考えたり、自分の気持ちにハッと気づいたりします。つまり、「自己や他者と出会う」ことができるわけです。  たとえば、先の事例の父親には、実は私たちが学ぶべき「とってもいい部分」があるのかもしれません。ロールプレイングでは、父親本人がその場にいなくても、みんなで話し合っていくうちに、そのことに自然に気づくことがけっこう多いのです。もちろん、そのためにはみんなに「気づこう」とする態度が必要ですけれども。  第三に、メンバーやグループ全体のコミュニケーション能力を高めることができます。ロールプレイングでは「気持ちのいい言い方」をめざして、「そこは、こう言ってみたら?」などとみんなで自由に意見を出し合います。その話し合いに基づいて納得いくまで演技を繰り返します。  さらに、もっといい感じで言えたり、聞けたりするためには、次のようなことに心がけると、いっそう効果的です。  共感をもって聞き合う。相手の気持ちと共感できる時は、あいづちをうったり、うなずいたり、「ええ、そうですね。」と賛意を口に出したりして、できるだけ相手にその共感が伝わるようにする。  自己を開く。人目にふれたくない自分もあるでしょうけれども、そういう欠点を含めたトータルな自分を自分として認め、相手にも開いていくことが必要です。「自分」を一人でしょいこまずに他者に開けば、意外に相手もそういうあなたを受け入れてくれるのではないでしょうか。  そして、「さわやかな自己主張」を心がける。これも、とても難しいことです。でも、相手に対して何か「主張したいこと」がある時、「自分ががまんすればいいのだから」とか、「言っても聞いてくれないから」などと理由をこじつけて、主張しないでおくということは、第三者に悪口を言ったり、いつか爆発して攻撃的になったりするなど、ますます不幸な結果になりがちです。相手の頑固さや自分の能力に絶望して口を閉ざすのではなく、自分の気持ちが受け入れられることを信じて、けんかごしではなくさわやかに「私はこう思います。」と言うトレーニングが求められているのです。  コミュニケーションが可能になるためには、「通じ合うはず」という自信(自分への信頼)と他者への信頼が不可欠です。ロールプレイングとは、そういう「信頼感」を私たちに呼びおこしてくれるコミュニケーションのトレーニングそのものでもあるといえるでしょう。